武蔵円明流 判官派
           |トップページ武蔵円明流判官派について宗家 諸田森二武蔵円明流判官派活動
メニュー
  ☆トップページ
  ☆武蔵円明流判官派について
  ☆武蔵円明流判官派剣譜
  ☆宗家 諸田森二
  ☆武蔵円明流判官派活動
  ☆宗家出演DVD
  ☆独行道
リンクサイト
  ☆武術空手 修気道
  ☆クンダリーニJP(火の呼吸)

武蔵円明流判官派について

京都の北、鞍馬寺が円明流発祥の地です。文治の頃、源義経が奥州高館城に亡命。家臣であり弟子の重源(義経流を修行)は鎌倉殿下をはばかり義経流を取りやめ、「円明流」を創流しました。
これは天平7年(735)剣法書、吉備真備著の文献にあきらかにされています。重源は京都の醍醐寺僧侶として上醍醐に居住していました。醍醐寺に「円明庵」という宿坊があってそこから名を取ったとされています。

義経の剣法は鬼一法眼より伝授されたと言われています。鞍馬流は陰流であり、円明流、新陰流、愛洲陰流は姉妹流派です。

円明流の流祖は俊乗坊・重源、そして源流は鞍馬流です。円は法輪のことで絶対空の無限界、明とは日輪と月とを象徴し、円満完全な兵法を目指します。

宮本武蔵の二天一流の元流は円明流から分派した武蔵の兵道鏡円明流です。この兵道鏡円明流からさらに分派したのが「武蔵円明流」です。

武蔵直系の弟子が「武蔵円明流判官派」を名乗り、末裔が鳥取池田藩剣術師範に召抱えられ秘伝としたことから当流は鳥取池田藩で300余年にわたり門外不出でした。時が経ち昭和36年に公開されました。

流派の特徴は鞍馬流を源流とすることから野性味あふれています。当練習会では刀法以外に、外物として短剣、手裏剣、十手、鎖鎌なども駆使します。二刀勢法は右手と左手を同時に使うのが特徴です。


*当会は14代高橋宗家が先代宗家と共作した「武蔵円明流判官派指導書」を元にして練習しています。「判官派」は存在しないとする他団体の主張は全く見当違いです。また、高橋宗家より15代を継承したと称する人物もおりますが、生前高橋宗家より直接継承を託されたのは諸田宗家のみです。高橋宗家は「円明流兵法」なる団体は興していませんのでご注意ください。
          
↑武蔵肖像画(島田美術館所蔵)
                      *サイト内の記事についての無断転載・コピーは厳禁
Copyrightⓒ 2004musashiemmei-hangan All Rights Reserved.
inserted by FC2 system